はじめまして。
私たち兄弟は、社交ダンススクールを経営していた両親の元に生まれ、幼少の頃から自然にダンスに触れる環境で育ちました。恩師である石原ヒサシダンススクールに勤務しながら長い競技選手生活を送りました。引退共に独立し、2007年10月に四谷三丁目にダンススクール市川の開設に至りました。
近年では、数え切れない種類のダンスが溢れて、踊ることは自己表現であるとSNSなどを通じて日々世界で発信されています。その数ある中でも社交ダンスは中世期のヨーロッパから長い歴史があり、廃れることなく今日まで踊り継がれています。
二人で踊るダンスは楽しいだけではなく、コミュニケーションの大切さ、相手への思いやり、共有意識の芽生えなど、お互いの手と手を取り合いながら小さな社会を作り出します。それは一般社会にも通用するエチケットとマナーを学べるため、学校教育現場でも注目され社交ダンスを授業や部活に取り入れるようになりました。
様々な要素を持つ社交ダンスは、老若男女問わず、無理なく、いつからでも始めることが出来ます。
ダンススクール市川では、皆さまのお忙しい日常から少し開放され、明るい空間作りを目指しております。それぞれに寄り沿ったダンスレッスンをご提供いたします。ぜひ一度お立ち寄りください。
Wilhelm Gause • Public domain
ボールルームダンスの起源と発展
ボールルームダンス(社交ダンス)の歴史は、中世期のヨーロッパにその歴史があるといわれています。当時、ヨーロッパ各地では祝い事や祭事に庶民たちが集まり、人々の楽しみやコミュニケーションとして踊られた民族舞踊がありました。そして、これらの民族舞踊は17世紀頃、文化や芸術をこよなく愛したフランスのルイ14世の目にとまり、宮廷に取り入れられ貴族たちもこのダンスを楽しみました。
宮廷の舞踏室を「ボールルーム」と呼ぶことから、ヨーロッパでは「ボールルームダンス」という名称となり、外交の社交場で踊る「社交ダンス」などと呼ばれるようになりました。
日本では鹿鳴館時代に上流階級の間で外交政策上の必要性から、欧米をお手本に「社交ダンス」を導入するようになりました。
1918年(大正7年)頃、日本に初めてダンスホールが開設され、富裕層を中心に社交ダンスが踊られ始めました。また、一般庶民に社交ダンスが広まったのは、第二次世界大戦後、進駐軍向けにダンスホールが開設され、そこでは、若い男女の出会いの場としてダンスパーティーを盛んに開催し、ジルバやマンボなどアメリカンスタイルのダンスが流行りました。またアメリカでは、ペアダンスの種類が細分化されているため、社交ダンスのことを「インターナショナルスタイル」とも呼ばれています。
このボールルームダンスは、社会的な人と人の繋がりや集まりを持つ特有の性質があるので、世界共通の基本的リズムとステップがあり、一度覚えれば、言語が通じなくてもボディランゲージとして、世界中の誰とでも踊ることができるのが最大の特徴です。
1920年頃から、スポーツ性と芸術性を兼ね備えたボールルームダンスは、「競技スポーツ」として世界的に確立されてきました。現在も競技ダンスに憧れ、世界各国から優秀な競技選手が輩出され活躍しています。競技ダンスには、ホールドを組んで踊るスタンダードスタイルの「ボールルーム種目」と、軽快で陽気な雰囲気のリズムで踊るスタイルの「ラテン種目」、この2部門に分かれて競技会が開催されています。